ゲーム制作サークルを引退した話
12月16日、サークル活動の場で引退式が開かれ、私たちの代はMIS.Wを引退しました。サークルを通じて築かれた人間関係は残るものの、これまでのような活発な交流が減ることを思うと寂しくなります。とても短い3年間でした。
サークルでの活動、主にゲームの共同制作について振り返りました。思い出を書き始めるときりが無いので、ゲーム制作以外のことについてはまたいつか。
1年目
大学に入りたてで右も左も分からない中、大学が掲載する公認サークルリストでその名を見つけたことが、MIS.Wに入るきっかけになりました。なぜ入会を決めたのか思い出せませんが、良い選択をしたあの頃の自分を褒めたいところ。
しばらくして、先輩の立てたRPG企画(つまりRPGを制作するプロジェクト)に加わり、ゲームの素材となる絵を描いていました。紅葉の季節、企画が倒れます。ゲーム制作の道は厳しいものです。一方でこの頃になると友人が増え、サークル活動に楽しさを感じるようになりました。
2年目
2015年、世の流行の波に乗り、サークルでもUnityが流行り始めました。ここでダンスゲーム企画にプログラマとして加わり、初めてUnityに触れることになりました。
私はこのときまでJavaしかまともに書いたことがありませんでした。しかし、企画でUnityのためにC#を書いたことが、他言語を始める抵抗感を払拭するきっかけとなります。Unityに触れたこと自体も貴重な体験です。
再び訪れた紅葉の季節、企画は難航していました。プログラマ全員がUnity初心者であり、誰も効率的な共同開発の手法を知らず、度々gitでシーンファイルの競合を起こしてその対処に追われていました。また、企画員の数が多かったことにより、意思の疎通が疎かになっていました。
失敗も成功も含めて、この一つの企画で経験できたことは多かったと思います。こういった経験を得られることが企画参加の大きな意義になります。
3年目
今年は音楽ゲーム企画と脱出ゲーム企画二つの制作に関わりました。
春から夏にかけては、空いた時間のほとんどを脱出ゲームの3DCG制作に費やし、半ばうつ状態になっていました。しかし、初めての3DCG制作によって新しい技能を身につけられることを糧にして何とかやり遂げることができました。
その後、音楽ゲームのGUI制作に腰を据えて取り組み始めました。予てよりゲームのGUI制作をしたいと願っていて、それがようやく叶った形です。
音楽ゲーム企画は参加者が多く、CG担当者が3人いました。初期は話し合いを活発に行ってゲームのイメージを固めることに努めていましたが、開発中盤になると方向性の違い、デザインの違いが目立ち始め、私たち素人には手に負えなくなっていました。その結果、ゲームのGUIは心残りな出来になってしまいました。力を入れていただけあって非常に惜しい思いです。
ゲーム制作自体は、企画長と企画員たちの見事な働きによって成功を収めたように思えます。何事もなければもうじきリリースを迎える予定です。
まとめ
企画への参加によって、新しい開発環境や新しい言語など多くの知識を得られたと同時に、多人数で共同制作を行うことの難しさを思い知りました。**メンバー全員がゲームに対して何らかの異なるイメージを持っており、さらにアウトプットする制作物には個性や癖が反映されます。**共同制作では、十分な意思疎通をもってこれらを統一できなければ良い作品ができないのです。
サークルを引退しても、ゲーム制作は続けたいものです。